チームバトルロイヤルって何が一番の目的なんだろうか、ゲームって何が目的で存在しているのだろうか

こういう時期に限ってドリスピ(ドリフトスピリッツ)をやっているユーザーの多くは感情が高まり、鼻息を荒らしている。
前から思い浮かべていた個人的意見を言わせて頂きたい。


ドリスピで一大イベントと言うならコラボイベント、ボスバトルがオレの認識でありチーム戦もそのひとつであると考えている。

団体戦という事は、今所属しているチームから出るという事なので、欲しいというのは当然の事だろう。

しかし、年々問題視している事が出る事もある。

報酬貰ったら挨拶も交わさず離脱する人、チームの為に沢山走らない人、走りもしないのに口だけ偉い人Etc…

さらに報酬目的かみんなで勝つ事が目的なのか。

そして二分化される勝ち組と負け組。

コレは理にかなったイベントなのだろうか。

別にイベント自体を否定する気はないが、イベントに相応しい行動を取れない人が多いのは事実だ。

かつて、自分も報酬が目的で、あるタイミング見計らって無理矢理事情に配慮せずお願いし、人数を集めて上位に行った事もあれば、あの日産の様に多数の人をリストラし欲求ばかり走っていた時期があった。

その『自分が思った通りやりたい放題してしまった事への反省』で今は"人間関係を第一"に考え、"自分の欲求だけじゃなく、相手の気持ちを聞き配慮する"努力をしている。

その自分がやってきた過ちへの意識が高まったのか、何者かが襲ってきて危うい状況から脱却させる為のチームへの救済・贖罪目的で転々しつつも、着実に成果を残してきている。



こういう前向きな意見が多い一方、負の側面ばかり気にする人も居る。

今はどんな様子なのか自分は分からないのに、昔あの人はこうだったからダメだとか、ネット上でよく見掛ける信憑性があやふやな噂話を聞いてそれが真実か嘘なのか見分ける努力もせず、その話を鵜呑みして信じ込んだり、果ては自分の発言及び行動を錯覚し自覚してないのに、自慢気に相手側の意見を聞かず自分の正義を押し付けてくる人も居る。



チームバトルロイヤルって何が一番の目的なのだろうか。

最近よくこのテーマで考えている。

ネット上では真偽かどうか分からない情報が乗っていてその情報をフィルターにかけず鵜呑みにしたり、自分は実力や実績がないのに『ダニング・クルーガー効果』で自分の能力不足に気付かないまま自慢気に話していたり、批判や議論といった言葉の意味や目的を分からないのに知った被った事を言っていたり、各々個人的価値観が違うので自分と違う視点がある事に納得出来ず自分の発言が正解だと無理矢理箸を折る行動を取ったり。

もはや目的が何なのか分からない状態である。

具体的に三つに分けられ

・論争を繰り広げるのが目的

・報酬が目的

・チームワークを駆使して勝つのが目的

というのが個人的印象である。

ここからが本題だが、

チームって何を目的として設営したんだろうか。

チームメイトや親しい人と交流を深め、御互い助け合い一緒に目標に向かって頑張る

というのがチーム機能の目的だと思う。

一方ゲームって何故、何が目的で存在するのかともよく考える

暇潰しの為?いや、違う

元々ゲームってアーケード(筐体)でしか遊べない時代があった。

色々な切磋琢磨があって今でこそゲームが手元にある訳だが、元々は限られた場所でしか遊べなかった。

そんな定義への理解を深めると、ふと原点に立ち返る。

オレの小学校時代はゲームボーイ、PS2、ゲームボーイアドバンスの時代だったのでなかなかゲームで人と対戦するという事自体出来なかった(ケーブル買えば別だが)

その上ゲームを持っている事自体が珍しいので、よく注目される時代だったので友達が画面に向かって顔をよく覗いてくる事が多かったと記憶に残っている。

ゲームってみんなでその画面を見て、遊び、負けたり勝ったりその喜びを分かち合うのが目的で生まれたんだと感じている。

時代の進化と共に忘れ去られていく存在定義・概念。

子どもだろうが大人だろうが、何より大切だった物事に対する考え方を時間と共に忘れ去られてしまうのは非常に残念である。

ゲームセンターから離れ、ゲームという遊戯の概念がより身近となり、人間関係にさらなる彩りを添えた事に感謝する事を忘れないで頂きたい。



余談
ある学者の話では人類の頭脳細胞はネットのSNS等に依存・執着する事によって退化してきていると聞いた事がある。
集団行動によって集団心理を招き、『みんながやっているから自分もそうする』という誤った一般教養・常識を身につけてしまう恐れがある。
どうか周りに惑わされず、長所と短所も自分だと受け入れ、自分の個性を大事にして欲しい。


補足

(今回のテーマは『物事への視点や考え方』。
このテーマで余談の内容に対する具体的な例を挙げると、
大抵の人が発言する内容は、客観的意見と言いながらも、

実は自分だけの視点で且つ物事の経緯を無視して意見を述べた主観的な結果論

でしかなく、その発言は知った被りである事が多く、『パレートの法則』を知らない完璧主義者等の精神的潔癖症か、意味をよく理解しているフリの体で話す人が多いので、

発言の内容は薄っぺらく信じる価値は低い事が多い)


GILGAMESH MYBLOG

個人的意見や心理学的アドバイス、ゲームに役立つ事を不定期で書くブログです。 あまりTwitterとかで書くのには文字数的にも限界があるので、自問自答を交えつつ個人的な見解での意見も書きます。