真摯さを忘れるな
オレは少なくとも戦いという事についてただ、「戦い」と単純に捉えて考えていない。
単に勝ち負け決めるまでが戦いという話がよくあるが、思慮深さがなく、優勝賞品にばかり目を凝らし自分の事ばかり考えているからそんな事が言えるだろう。
戦いというのは深刻な問題である
お互い戦略練るべく思考を巡らし、どこで譲り負けてどこで攻めにいく事を各々一生懸命に考え、お互いの意地を見せ合う。
無論、それに伴う犠牲が多い。
その真摯さに敬意を評し礼をする。
ドリスピにおいてチーム戦では必ずといってもいい位必ず挨拶を交わし礼をして終わる。
気付かぬ内に武士道精神が養われたのかもしれない。
1000、2000、5000との数の相手を倒して数字がカウントされる内に段々と戦いという事の定義が明確になっていったと思う。
個人戦でただただ優位に立つ事ばかり考える人が多いが、団体戦ならばそうもいかない。自分の都合ばかりになっても他人の意向を譲ってばかりでも勝つ事は難しい。
日頃のモラルやリテラシーの鍛錬が真の存在としての強さを引き出すという事なのだろう。
だから、日頃から人間関係や道徳、アドラー心理学といった基礎中の基礎を学び、良好な人格を保つ事が大事だろう。
学校や家を独り立ちし、自由を手に入れた事は良い事だが、同時に責任を負う事になる。
自由とは何やってもいいというのは自由ではない
それは単なる身勝手。
自由とは自分がやりたいと思う事をやれる機会を作るのが自由だと感じている。
個人でどうにか対処出来るならそれはそれで構わないが、団体では誰かが支えにならなければならない。
だから予め、真摯さと正直である事を日頃から挺しておくべきではないだろうか。
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