ブロックされた、ブロックした自慢を一々する人は理解・勉強不足か世間知らず
希にSNSの投稿上で見掛かるブロック画像。
其を負か勝かと捉え方は人それぞれ。
しかし、其が正しいのかと迷う人が必ずいる。
かくいうオレも昔はブロックされた画像を載せていた。
ここでこういった概念を個人的意見も交え明確にしたい
ブロックする事は簡単 その後は難関
人には好き嫌いがあり、個々で個人差がある。
普通にあまり好きではなければミュートで済ます人もいれば無視する人もいる。
そして幾度交流重ね、生理的に無理だと思ったらブロックし金輪際今後はその話を一切持ち出さない。
その"正攻法"ならまだ納得できる。
しかしながら、ブロックの使用方法を誤っている人が少なからずいる。
そういう人によく見掛かる事例として前に見たマンガを載せたい
"中身"がない批判はただの誹謗中傷或いは非難
まず、批判とは何かを整理したい
君達は批判というのを【なんとなく】で使っているのを御気づきではないだろうか?
【周りがこう言ってるから意見に乗ってみた】、
【自分には関係ないけど・この人どういう人かわからないけどとりあえず】。
こんな感じでなんとなくで"批判"する【自称評論家】になっていないだろうか?
自分から関与・理解する努力もせず周りから聞いた、見ただけという
"建前"で人を非難していないだろうか。
其を堂々と言う、かくいう自分もそうだった。
ソーシャルネットワークサービスを使い慣れるまでは【なんとなく】で単語を挙げて遣り繰りしていた。
この記事は【それに気付くタイミングを逃していた自分への自戒】でもある。
しかしもっとタチが悪い事実がある
説明責任を放棄し、曖昧に教育させた親や学校だ。
ある共通点が存在する。
【説明責任の放棄】だ
親や学校の教師は自分がうまく説明できない、どうしたらいいかわからない時こう言ってた筈だ
【自分で考えてみろ】と。
これでは更なる誤解の連鎖に繋がるではないか。
【人を教育する上で最も必要な事】なのに誤った洗脳をしたらもはやそれは、"とある宗教団体に入った"事と例えられても過言ではない。
しかもそれが未だに影響され、周りがこうだから自分もそれに習って行動する。
マニュアル(或いは教科書)通りに動く事が全てではないとここで気付いた筈だ。
だから周りからこう言われた、こう言ってるからこの人を傷付けてみよう、面白そうだからやってみよう
ここで前述した記事(交流と交渉は紙一重)を読み直して頂きたい。
自分の主張を無理矢理押し付けたり、人の事ばかり日常から言う人は会話に隔たりがある。
何の関与も交流もせず、良い所も出さないまま周りから見た聞いた、話に乗ってみた、だの"なんとなくやってみたでの批判"は
ただの名誉毀損以外の何でもない。
非難と言われてもおかしくない。
相手にも発言する権利があるのに言いたい事を一方的に言って・言われて傷付けて楽しいか?
(文脈も読解力も、ここに書いてる漢字ですら読めない人なら別だが)
むしろ下らん争い事が悪化し、現実にも影響が及んで勿体無い思いをするのは君達だ。
雑談なら別だが、真面目な議論や話し合いというのは聞いただけ・見ただけの度重なったイメージによる虚像という名の【建前】で人間の性格等全てを決めつけるというのは実に愚かな行為である。
ましてやSNS。顔が見えない、声がわからない、性格がわからないからといって関与一つせずにブロックを公表なんぞ、相手がこういう人間であるといい広めると同時に【自分は人間として性格の"器量"が小さいです】をアピールして仮想的にリストカットしているようなもの。
一度関与の経験があるのに関わらず、それまで悪い人間というイメージではなかったのに、他者からこうだああだと言われて塗り替える、或いは塗り替えられて無理矢理イメージを変えられ人の意見を発言する権利を止めるなんて
前述した一方的な暴論に等しい。
いくら自分にも言いたい事があれど、折り合いが無ければ聞く価値もない。
或いは、交渉を提示してきた時に相手が納得できる内容で無ければ、其を受け取る事すら興味を示さないだろう。
いくら自分にも伝えたい事があっても、一方的に主張を押し付けていたら交渉・話し合いは進まないのだ。時に自ら手を引く事も必要なのである。
例えばAとBが衝突しケンカを止め仲直りすべく交渉し始める。
【一方は此を我慢してもう片方主導権か何かを与える】
コレなら誰も納得する
しかし何か我慢もせずに交渉を進めるってのは【交渉じゃなく押し付けか洗脳】片方が何か一つを我慢しない限り話し合いに進展はないだろう。
オレはこういった経験でSNS上での"ブロックする機能"への考え方を改めた。
人は必ず好き嫌いとその好き嫌いの個人差がある。そこに対しては尊重しあまり関与はしない。
ただ一つ言いたいのは無差別にブロックなんて無謀でしょと。
アドラー心理学ではこう例えられる
【正義の反対は悪ではなく他人の正義】。
ただブロックする、批判する・指摘するというSNS上での日々の行動一つ一つの概念を改めてよく考えて欲しいというのが今回の一番言いたい本題だ。
総じて言う。
【謙虚】を覚えなさい。
謙虚とは自分が偉い存在と思わず素直に他から学ぶ事を指す。
【謙虚さ】はこれから人間関係において大事になってくる。
ただし、注意しておきたいのだが【見よう見まね】は絶対にやってはならない。良い所も悪い所も取り入れてしまい完全オリジナルのアイデアと言えないので【守破離】も覚えて頂きたい→https://www.motivation-up.com/motivation/shuhari.html
平成がもうすぐ終わりが近づいている。
その人間関係の問題の延長線上の国会議事堂の国会議員はどうだ?
自分の都合の良い時は起きて発言いる癖に、都合の悪い時は目を瞑ったり、寝たり。挙げ句は都合が悪いと言って会議をシャットダウン。
"こんな格好悪い状況で平成終わる事にカッコつけるのは、カッコ悪いでしょ"
と、深々と反省した私であった
0コメント