勝負で傷付き合うのが勝負と言えるのか
以前ライバルを潰しても利益はないと話をした。今回はさらに掘り下げて勝負とはどういう考えでいた方がいいのか話していきたい。
昔は勝負する事に飢えていた。勝つ事が全てといってもいい。
だが最近は手のひら返して勝ち負けにこだわらなくなった。
キッカケはこの記事↓
【https://www.autocar.jp/firstdrives/2018/07/01/299983/】
スターリングモスというレーサーの功績だ。
これは前回の【上下関係】の事に対しても言える。
サー・スターリングモスは確かにレーサーとしての実力と素質がある。
だが、実力があるのに関わらず順位を他の方やチームに譲ったり手伝いに回っていたりしていた。
そして評価をもらい、周りに人格・性格も認めてもらい、上に立った。
これこそが本来あるべき、【上に立つ人間の考え】だと改めさせられた。
意見が一人歩きしたり、下の人間を潰していっても何もない。
ライバルを潰していては周りの人達は居なくなり孤独となる。
【恋のキューピット焼野原塵】というマンガを見た人は居られるだろうか?
このマンガでは史上最強となった元大魔王の塵が周りを投げ倒し一人ただ上に立つ事の意味を深く説明し、利益がないと悟り魔王を辞めてキューピットに転身したという話だ。
勝ちたがりになるのは悪い話じゃない。
だが、勝ちと負けをとことん拘ると話は違う。
弱肉強食が最強とオレは言いたいのではない。
最近分かりやすく解釈された【超訳孫子の兵法(著・田口佳史)を読んでいる。
この戦略本の原点となる中国の古典ですら上下関係への拘りを否定している。
ある一文を抜粋しよう
【百戦百勝は、善の善なるものに非ざるなり】
訳
【戦いにおいては、自分も相手も傷付かないように勝つことを考えなければならない。どちらが勝っても負けても、傷付けば疲労し、回復に大変な時間と労力がかかるからだ。だから一番いい勝ち方は、戦わずに勝敗を決することなのである。】
傷付いて疲労しても、メンタルの回復に時間が掛かる。どんなにポジティブであっても現実というのには勝てない。そういうことじゃない。
そもそも考え方を変えればいい。
ネガティブ(悲観的)とポジティブ(楽観的)は紙一重。しかもどちらも依存性が高い。
どちらが一番か。
やはりポジティブでいた方がいいだろう。
傷付いて日々過ごす事に億劫を感じる筈だ。
楽観的・建設的な考えの元、勝ち負け、上下関係にこだわらず御互いの立場、価値観を認め合うこと。
これが一番だと思う。
そうすれば周りに人が増えて理解も増える。
多少バカだったり性格に欠点があっても敢えて先に出したりして素性晒していれば後は楽だ。
意見の衝突は避けれないが曖昧な考えがハッキリできる。そして二分するが
大体の周りの人は存在を認められていく。
そして支持者も増えていく
これこそがあるべき勝敗ではないだろうか。
外国では勝ち負けがあっても誉め称え合うのがマナーだ。対して日本は始まりと終わりの一礼を除けば勝ち負けで立場は二分する。
ここでも勝ち負けの概念は違ってくる。
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